元自動車セールスマンが大学院で博士号を取るまでの話

私のセールス時代の話と大学院での生活を中心とした回想録です

4.はじめての就職活動

私が就職活動を始めたのは、東日本大震災リーマンショックの影響でやってきた就職氷河期が収束に向かいつつあるときでした。

 

当時の私は大学院の進学準備と並行して就職活動を行っていました。

私の大学では、大学院進学と就職内定の2つをゲットした人はいなかったため、「進学も内定も手にしてやる!」と息巻いていたように思います。

 

まぁ内定しか手に入れられませんでしたが

 

 

 

(笑)

 

 

 

さて

 

本題の私の就職活動(以下、就活)ですが、当時は就職氷河期の名残もあって都心部や都市部の就活生はエントリー50社以上なんてザラでした。

 

それだけ買い手市場であり、就活生は苦戦することも多い時期でした。

 

肝心の私はというと…

 

5社だけエントリーしました。

 

当時の流れと逆行した少数選抜で就活戦線に臨みました。

今考えれば、ずい分無謀なことをしたなぁと思います。

 

当時の就活時期は、

3年生12月に情報解禁+就活スタート → 1月末:ほぼ大企業内定で終わる → 2~6月:各企業で内定出始める→ 7~9月:就活終わってないとヤバい

 

という、感じでした。

今の就活状況とはずいぶん違いますね。時代を感じます。

 

 

 

私の就活状況をダイジェストでお送りすると‥‥

 

 

3年生10~12月(おそらくの日程)

就活に向けた資格取得勉強。

取りやすいという理由で秘書検定と販売士3級試験を受け、合格。

なお、あってもなくても問題ない資格な模様。

 

 

3年生12月~1月

はじめての大企業受験。履歴書を行きの新幹線で作成するも万年筆の難しさになれず、汚損。

1次試験のグループ・ディスカッション開始30分前になんとか仕上げる。

なお、この企業は落選した模様。履歴書を作成した意味は?

 

 

3年生3月

地元優良企業(ゼネコン)の2次面接を受ける。

首の太さが頭と同じガチムチ面接官によるプレッシャー面接に屈し、落選。

正直、落選して良かったと思っている。怖かった。

 

 

4年生4月

1次試験を兼ねた企業説明会(輸入車販売)に参加するため、バスと電車を経由して現地に赴く。

しかし、駅に到着した時点でジャケットを着ていないことに気づき(?)、説明会参加を断念する。

なぜ家を出るときにジャケットを着ていないことに気づかなかったのかは、今でもナゾ。

なお、受けようとしていた会社は後にとんでもないブラック企業だったことを知り、戦慄する。

 

 

4年生5月

とある田舎県の国産自動車販売の会社を受験。

グループ面接時に輸入車興味ある?」と聞かれて、まっったく興味ないのに(あるといえば評価あがるかもしれない…)と思い、「ありまぁす!」と答える。

後日、輸入車部門の人事担当から電話。

人事(のちの部長)「1週間後、面接しない?」

        私「!?」

 

面接を受けに行くも電車の関係で1時間以上早く会社に到着。

面接会社にて(暇だなぁ…)と思いながらしばらく待っていると、後にお世話になる常務取締役が到着。声をかけられる。

常務「君が受験者?」

私「はい!」

常務「他の人は?」

 私「まだ私しかきていません!」

常務「じゃあ君にする!」

 私「はい!…え!?!??

 

ということで、G.W.後ぐらいのタイミングで内定をもらい、私の就活は終了しました

受験者で1番早く来てたから採用って…

今思い返しても、常務はすごい方だったと思います(笑)

 

私の場合、受けた企業の数から内定までの経緯までレアケースだと思うので、こういう成り行きもあるんだなと思ってもらえたら幸いです。

 

ただ、この就活もそうですし、今後のセールス時代の出来事もそうですが、人との縁やタイミング1つで人生が大きく変わる経験をしました。

いやぁ当時のことを思い出すと感慨深いです。

 

 

 

さぁ、内定したは良いものの、私の人生にとってここからがとても大変で刺激に満ちた日々が始まりました。

 

社会の厳しさ、中小企業にありがちな独自ルール、残業ってなに?タイムカード?、個性的なお客様たち…

 

話題に事欠かないことだらけの日々でした。正直、今の大学院生活より刺激的だったように思います。

 

それでは、次回からはセールス時代のお話をお届けします。